東京家庭裁判所八王子支部 平成10年(家ロ)1032号 審判 1999年2月26日
主文
相手方両名は申立人に対し事件本人甲野和子を仮に引渡せ。
理由
1 申立ての趣旨
主文同旨
2 事実
本件記録(家庭裁判所調査官徳井浩及び同北尾眞美作成の調査報告書を含む)、本案審判申立事件の記録、当裁判所平成一一年(家)第三五号、同第三六号、同第三七号子の監護者の変更申立事件の記録、当裁判所平成九年(家イ)第一九七〇号、同第一九七一号、同第一九七二号親権者変更調停申立事件、当裁判所平成一〇年(家)第三二五号、同第三二六号、同第三二七号子の監護者の指定申立事件の記録及び東京高等裁判所平成一〇年(ラ)第一四〇六号の子の監護者の指定審判に対する抗告事件の記録、最高裁判所平成一〇年(ク)第六二八号特別抗告事件の記録並びに申立人及び相手方両名に対する各審問の結果によれば、以下の事実が一応認められる。
(1) 申立人と相手方甲野太郎(以下「相手方」といい、相手方甲野春子「相手方春子」という。)は、昭和六一年一〇月三〇日に婚姻届出をなし、平成元年一月一〇日に長男一郎、平成二年一月二二日に二男二郎、平成四年七月二九日に長女和子(事件本人)が生まれた。事件本人を含む子供達はいずれも相手方の赴任先の英国で生まれた。
平成八年四月に申立人及び相手方一家は日本に帰国したが、申立人の不貞行為が原因となって平成九年五月二一日に申立人と相手方は子供三人の親権者をいずれも相手方と定めて協議離婚届を提出した。ただ、申立人と相手方は、一九九八(平成一〇)年四月一日以降かつ申立人又は相手方が第三者との婚姻届をした日を同居の解消とすること、同居解消後申立人は相手方から長男又は二男の親権を譲り受けることができること等を内容とする協定書を作成して従前の同居生活を継続した。子供らにはこのような両親の事情は全く知らされなかった。ところが、その後も申立人が上記不貞相手との関係を継続していることを知った相手方は申立人との復縁の可能性はないものと考えて、かねて家庭の事情を話していた相手方春子との再婚を考えるようになり、同年七月下旬に同人に結婚を申し込み、同年八月上旬にその承諾を得た。
同年八月上旬、相手方から、同人が再婚すること及び協定書に従った(申立人が監護する)子供の選択等を求められた申立人は、現状の同居継続を望んでいたことから、突然の相手方の再婚の話に戸惑い、改めて子供の今後の養育について考えるようになり、子供三人の監護を切望するに至った。
(2) 平成九年九月三日、申立人は当裁判所に対して子供三人の親権者変更の調停を申し立てた(平成九年(家イ)第一九七〇号、同第一九七一号、同第一九七二号)。
同年一一月二一日の第二回調停期日において、相手方からぎりぎりの妥協として長男及び二男の監護者を申立人とする提案があったが、申立人は監護権だけでもよいから子供三人を引き取りたいと主張し、話し合いがつかなかった。しかも、相手方が同年一一月末に入籍するとの窮迫事情が出てきたために、調停委員会から、現在の不安定な同居生活を解消して、当面、申立人と長男及び二男が申立人の実家に帰り、相手方は事件本人及び相手方春子と暮らし、暫くの間子供らの状況をみた上で最終的な解決方法を協議するという提案をし、双方がこれを了解した。そして、翌日、申立人と相手方から子供らに対して両親の離婚の事実及びその原因が申立人の不貞行為にあること(これは相手方の要求によるものである。)並びに当面の暮らし方の説明がなされた。
同年一二月一日に、相手方と相手方春子は婚姻届を提出したが、同日の第三回調停期日において、同月二七日に申立人が長男及び二男を連れて家を出ること及び正月には一泊の相互面接を行うことが合意されたが、申立人が事件本人との隔週毎の面接を希望したにもかかわらず、相手方は事件本人と相手方春子との生活が落ち着くまで二か月位は事件本人を申立人に会わせたくないとの主張であり、合意に至らなかった。
平成一〇年一月一九日の第四回調停期日までに、北尾調査官による別居前と別居後の双方の家庭の状況調査が行われた。第四回調停期日においても双方の主張は平行線のままであり、さらに相手方から事件本人の生活の安定のために申立人との面接交渉を今後三か月間避けたいとの強い主張が出されたため、同年四月二五日以降に申立人と事件本人が面接すること、その間に調査官による調査を継続して、その調査報告を踏まえて申立人と事件本人の面接交渉の方法及び監護者の問題を話し合うこととした。
しかしながら、申立人は、相手方から事件本人との面接を爾後三か月間拒否され、しかもその後の面接交渉の具体的取決めができなかったこと、さらには相手方の事件本人に対する監護養育状態が既成事実化されること及び事件本人の精神状態への心配や相手方のこれまでの態度等から調停での解決は困難と考えた。そこで、同年一月二八日、申立人は上記調停を取り下げるとともに、相手方を甲野太郎として、子供三人の監護者をいずれも申立人とすることを求める子の監護者の指定の審判を申し立てた(平成一〇年(家)第三二五号、同第三二六号、同第三二七号。同事件を以下「前事件」という。)。
(3) 調査官の調査結果を踏まえ、かつ申立人及び相手方に対する審問を経て、当裁判所は、前事件に関して平成一〇年五月一八日、事件本人を含む子供らの監護者をいずれも申立人と定める旨の審判をした。相手方は同審判を不服として東京高等裁判所に対して即時抗告をしたが(平成一〇年(ラ)第一四〇六号)、同裁判所は同年九月一日、同抗告を棄却する旨の決定をした。これに対して、相手方自身がさらに最高裁判所に対して特別抗告をしたが(平成一〇年(ク)第六二八号)、同裁判所は同年一二月九日、同抗告は不適法であるとして却下する旨の決定をした。
この間、相手方春子は同年七月八日に長女和子を出産し、八月二六日には相手方の代諾により事件本人と養子縁組を結んだ。
(4) 申立人の渡邊代理人は、東京高等裁判所の決定を受けて、相手方及び相手方の元代理人である加嶋弁護士と事件本人の引渡等について協議を行い、同年九月一八日、申立人への事件本人の引渡を同年一一月八日まで猶予して相手方からの任意の引渡を受ける旨の合意をし、また、相手方と子供三人との面接交渉に関する詳細な取決めと引渡に先立って同年一〇月一七日に事件本人が申立人方を訪問することを合意した。
相手方が事件本人に対して申立人宅に遊びに行くことを言ったところ、事件本人は「一郎や二郎には会いたいが、前のお母さんがきつく抱きしめて放してくれないからとても嫌だ。」等と言って、少し不安定な状態となった。しかし、申立人宅を訪れた事件本人は申立人からみると少し元気がないように思われたが、申立人や兄達と屈託なく遊んだりして楽しく過ごした。この時、事件本人には今後申立人らと一緒に住むことになるという話は相手方から伝えられておらず、事件本人は申立人に対して「今日来るのは楽しみにしていた。でも和ちゃんはお父さんと住む。」などと述べた。
同年一〇月下旬に、相手方が事件本人に今後申立人らと住むことになると伝えた頃から事件本人は夜泣きをするなど不安定な状態となった。そして、このような事件本人の状況をみて、相手方及び相手方春子は事件本人に対する説得は困難であると考えるようになった。
なお、相手方は、同年九月七日以後、事件本人が従前通っていた幼稚園を突然休ませ、後日「ここの園では安全な送り迎えができない。」という手紙を幼稚園に送付した。幼稚園側は相手方に対して何度か事件本人を登園させるように電話連絡をしたが、担任が事件本人と話をすることも拒否され、結局、一二月一〇日付で相手方から退園届が送付され、事件本人は二学期末で退園となった。
(5) 引渡当日の平成一〇年一一月八日午後、事件本人から申立人へ自分は申立人宅には行かないという内容の電話があり、その後に相手方から申立人の渡邊代理人に対して、事件本人が行きたくないと言って激しく抵抗するので引渡は不可能である、話したいことがあるので相手方宅に来て欲しい旨の連絡が入った。
同日夕方、申立人、長男、二男及び渡邊代理人が相手方宅を訪れたところ、玄関の上がり口に食堂用の椅子が二脚並べられ、その奥の廊下にはさらに椅子が二脚並べられており、その一脚に相手方が腰を掛け、他の一脚の椅子の上には果物とむき出しの果物ナイフ、薬包様のものが置かれていた。相手方は事件本人が申立人方に行くことを拒否している状況を述べ、二人の息子に対しては、離婚原因が申立人の不貞行為にあることや相手方との面接を申立人が妨害していることなどを話した。下駄箱の上には「同意書」、「確認書」と題する書面がおかれてあり、その横には「遺書」と表書きされた子供宛の封筒が置かれていた。相手方は、申立人らに対して、「これ以上家族の平穏を乱し、苦しめる様なことはやめてもらいたい。もし、今後調停や裁判を起こすようなことがあれば、それは自分の屍を乗り越えてやることになるということを覚悟してほしい、自分には自ら命を絶つ覚悟はできている。」等といって、申立人及び渡邊代理人を非難した。続いて、相手方は渡邊代理人に対して、事件本人の監護については現状維持とすることに同意するという趣旨の前記同意書と申立人側が事件本人の引渡について何らかの法的手段をとった場合には、相手方が自殺をする決意であることを確知したことを確認するという趣旨の前記確認書に署名するように求め、「遺書」と表書きされた封筒を子供達のために預かるように求めたが、渡邊代理人はこれを拒絶した。この間、相手方の了解により長男及び二男のみが室内にいる事件本人(相手方春子らが付き添っていた)と面会でき、事件本人に対して「一緒に行こう」と話しかけたが、同人は「行かない」等と答えるのみであり、二、三分も経たないうちに相手方から事件本人との話し合いを制止され、事件本人が「お父さんのいう通りにして。」と叫ぶ場面があった。さらに、相手方は渡邊代理人に書面への署名を強く求め、署名しない場合にはその場で命を絶つ旨述べるなどしたため、結局、申立人らは事件本人りの引渡を受けることを断念して帰宅した。
この結果、申立人は、相手方から事件本人の円満な任意の引渡を受けられないと考え、平成一〇年一二月二一日、当裁判所に対して、事件本人に関する子の引渡の審判を申し立てる(平成一〇年(家)第四九二五号)と同時に本件保全処分を申し立てた。なお、相手方からは、平成一一年一月六日付けで、子供三人に関する子の監護者の変更の審判の申立てがなされた(平成一一年(家)第三五号、同第三六号、同第三七号)。
(6) 申立人の状況は、前事件の最終調査時と特段の変化はなく、長男及び二男並びに申立人の両親及び申立人の祖母と両親宅に同居し(但し、祖母は別棟に居住)、安定した生活をしている。長男及び二男も事件本人と一緒に暮らしたいという気持ちに変わりはなく、また、相手方との面接については否定的な気持ちはなかったものの、平成一〇年一一月八日の事件本人を相手方宅に引き取りに行った際の相手方の態度については子供ながらにその異様さを感じていた。
申立人自身は、事件本人を引き取った場合には子供三人と相手方との面接交渉については積極的に考えている。
(7) 相手方ら及び事件本人の状況は、平成一〇年七月八日に生まれた相手方と相手方春子の間の長女夏子が同年九月一九日に退院して、その後四人の生活を送っている点を除いては前事件の最終調査時と特段の変化はない。事件本人は、従前通園していた幼稚園を退園した後、同年一二月一日から無認可保育園に通園しており、園での評価も良く、保育園において特に問題点は認められていないし、家庭内においても、一応安定した生活をしている。そして、平成一一年四月から就学予定であり、地元小学校への就学通知書が届いている。
相手方によれば、事件本人は申立人のことを全く話題にせず、今の生活が充実しており、申立人のことは既に過去のこととなっているという。そして、調査官が相手方に対して、本件の本案の調査のために事件本人と申立人とを試行的に面接交渉させたいとの考えを述べたところ、相手方は、面接交渉には基本的には反対である旨述べた。その理由として、事件本人が相手方の許で安定して生活しており、申立人のことは忘れており、面接交渉をさせることは事件本人の傷ついた心を再び傷つけることになること、面接交渉の場で申立人と事件本人がうまく行った時に、それにより引渡せといわれたのでは困る、面接交渉の試行がどれだけ意味があるのか理解できないということを挙げた。ただ、このような危険性や無意味さを承知の上で、面接交渉を試行するというのであれば協力する、但し、事件本人と申立人とを面接させるのであれば、相手方と長男及び二男との面接も希望すると述べた。
ところで、平成一一年一月二七日、徳井調査官及び北尾調査官が相手方宅を訪問して、相手方、相手方春子及び事件本人と面接を行った際、事件本人のみとの面接において、事件本人は調査官との遊びには興じたものの、調査官が平成一〇年一〇月一七日の事件本人と申立人及び兄らとの面接のことを話題にすると事件本人は「忘れた。」と答え、家族画を描くことや家族に関する質問に対しても、敏感に調査官の意図を察してか、これらの質問を回避する態度が認められた。ただ、兄達とは遊びたいが、申立人宅には行かない旨の発言はあった。そして、事件本人と調査官との遊びの中で、事件本人は「たたかいごっこ」と称して、調査官両名をそれぞれ叩いたり蹴ったりする行動にでて、さらにみ付くという行為にも及んだ。帰り際にも、相手方春子に背負われた事件本人が、突然北尾調査官の手をとって同調査官の手首に再度みついた。(このような事件本人の粗暴な行為は、前事件における北尾調査官らの数回にわたる事件本人との面接の際には全く認められなかったものである。また、申立人によれば、同居中に、事件本人は兄達との遊びの中で時には喧嘩をしたこともあったが、他人の中ではいつも穏やかであり、大人に対するみ付き等の行為は全くなかったという。)
3 判断
(1) 被保全権利について
前記2(2)、(3)の認定のとおり、申立人と相手方との間において、事件本人の監護者は申立人であることが確定されている。そして、前事件の東京高等裁判所の決定が出された平成一〇年九月一日以後においても、申立人に事件本人の監護者としての能力、適正に問題があると認められる事情、事実はない。
相手方は、申立人が監護意思・監護能力を欠如しているとして、申立人の性格及び離婚原因を作った申立人の帰責性を指摘するが、これらの申立人側の事情は総て前事件の判断の前提として了解されているものであって、相手方の上記主張は前事件の蒸し返しに過ぎない。また、相手方は、前事件の審判は事情の変更、すなわち相手方らの継続した監護状態、異母妹夏子と事件本人との関係、相手方らとの生活を望む事件本人の気持ちにより変更されるべきであり、申立人の監護権に基づく事件本人の引渡要求は権利の濫用であって許されないと主張する。しかしながら、これらの事情は既にその殆どが前事件の即時抗告及び特別抗告において相手方が多くの資料を提出して主張しているものであって、現在相手方らが主張している事情は前事件における相手方の主張の延長ともいうべきものであり、また、事件本人と異母妹との関係についても前事件の東京高等裁判所の棄却決定が出されて、原審の判断の執行力が確定した後に形成された事実であるが、いずれにしても相手方らの上記主張の事実は、重大な事情の変更に該当すると評価することはできない。なお、事件本人が申立人宅に行かない旨の発言をしていることは上記2の認定のとおりであるが、これまでの申立人と相手方の紛争の経過、相手方らと事件本人との関係からするならば事件本人のそのような発言は予測されたものである(前事件の当裁判所の審判の判断の中で指摘したとおり、事件本人は非常に頭のいい子であって、頑張って周囲の状況に合わせてしまう性格であると以前に通園していた幼稚園で評価されており、このことからも事件本人の上記発言は了解可能である。)したがって、相手方らの主張する事情を考慮しても、申立人がその監護権に基づいて事件本人の引渡を求めることが権利の濫用であるとはいえない。
ところで、相手方春子は前事件の相手方とはされておらず、平成一〇年八月二六日(前事件の第一審と第二審の決定の間)に相手方の代諾により事件本人と養子縁組を結んでいるので申立人の監護権と養母である相手方春子の親権との関係が問題になる。前事件の当裁判所の調査官による調査は相手方春子に対しても行われていること、相手方らとしても前事件で終始一貫して相手方及び相手方春子による事件本人の監護の状態を主張していること、前事件のいずれの裁判所も事件本人の事実の養育者が相手方及び相手方春子であることを認識していたことからすると、前事件の判断はいずれも実質的には相手方春子も含めた上で、事件本人の監護者の指定についてなされたものであると認めることができる。したがって、確定した前事件の判断は実質的には相手方春子にも及ぶものと認められ、申立人はその監護権に基づいて相手方春子に対しても事件本人の引渡を求めることができる。
(2) 保全の必要性について
子の監護審判事件に関して審判前の保全処分が認められるのは、強制執行を保全し、又は事件関係人の急迫の危険を防止するため必要がある場合である。本件では「急迫の危険」の有無が問題となるが、これを子に対する虐待、暴力など明白なものに限定するならば、保全が認容されるのは極めて例外的な場合に限られることとなり、その結果は必ずしも子の福祉に適合するものではないこととなる。したがって、保全の必要性は、子の監護に至る経緯、現在の監護状況等を総合判断して、子の心身発達が現に損なわれていると認められる場合はもとより、本案の確定を待っていては子の福祉が損なわれる事情が認められ、かつ、これを早急に解消する必要性がある場合にも認められるべきであると考える。
そこで、本件に関しては、上記2の認定事実を前提として、以下の問題点を指摘することができる。
① 申立人及び長男、二男と事件本人との面接は、平成一〇年の正月以後、前事件の東京高等裁判所の決定を受けて申立人と相手方が合意した内容に従ってなされた同年一〇月一七日の数時間の申立人宅における面接交渉一回のみであって、実質的には一年以上の実母との分離、きょうだい分離の状態が続いている。この状態は事件本人にとっても、長男及び二男にとっても好ましくない状態であるといわざるを得ない。そして、前事件の審理経過及びその終結までに数か月を要したこと並びに上記認定のとおり相手方が申立人と事件本人との面接交渉に消極的な態度を示していることを考慮すると、本件においても本案の終結までに事件本人と申立人及び兄達との分離状態がこのまま継続される蓋然性が高いと考えられる。
② 事件本人が相手方両名の許において申立人のことを全く話題にしないということ、むしろ調査官の面接時にはその話題を避けようとしていることが認められるが、相手方らはこれを事件本人が申立人のことを短期間で忘れて現在の生活に適応し満足しているからであると主張している。しかしながら、申立人の主張によれば、平成一〇年一〇月一七日の申立人との面接時において、事件本人は申立人のことは毎日忘れていなかった旨語ったとのことである。知的能力の高い事件本人が五歳まで養育された実母を短期間に忘れるということは考えられず、実母のことを全く話題にしないのは不自然であって、このことは相手方らとの生活において事件本人が自由に申立人のことを話題にできない雰囲気があると感じているのではないかとの推測が成り立つ。
この点、申立人方における調査官の長男及び二男との面接において、同人らが事件本人、申立人及び相手方のことを自由かつ率直に語っていたのとは対照的である。
③ 相手方らは、前事件の高等裁判所の棄却決定が出された直後の平成一〇年九月四日に従前の幼稚園に「事情があってしばらく休ませる」旨の連絡をして突然具体的理由も伝えずに事件本人を休ませ、担任から事件本人への接触も拒否して結局約三か月間の自宅での生活の末、同幼稚園を退園させている。相手方らは、申立人の妨害として、申立人が事件本人の同級生の一部の母親と連絡をとっており事件本人がその同級生らから申立人の話題を出されるのを嫌がったことをその理由としている。しかし、この点について相手方らが幼稚園にその旨を相談した事実はなく、後日幼稚園が受けた相手方らからの理由は「ここの園では安全な送り迎えができない」というものであった。卒園、就学を目前にして、同年齢の友達との安定した集団生活を継続させることは事件本人の社会性の醸成にとって不可欠のものであるが、相手方らの事件本人に対するこのような突然の不可解な行動は問題があるといわざるを得ない。
④ 平成九年末の別居を前に、同年一一月二二日に申立人及び相手方から子供三人に離婚等の事実が伝えられたが、離婚原因が申立人の不貞行為にあるということも特に相手方の要求により子供三人に伝えられた。この時の子供らが受けた心の傷が非常に深いことは想像に難くないが、調査の結果からすると、同人らがこの一年間でこの事実を受け入れ、自分ながらにこれを乗り越えようとしてきた姿をうかがうことができる。しかしながら、平成一〇年一一月八日に、これから事件本人と一緒に住むことができることを楽しみに申立人に同行して相手方に赴いた長男及び二男に対して、相手方は離婚の原因が申立人の不貞行為にあることや申立人を非難する内容の話をするという態度に出ており、このことで再び長男及び二男の心が傷つけられたのではないかとの懸念が残る。
さらに、この時、相手方は身近に果物ナイフ等を置いた状況の中で(この点について、相手方は、相手方春子が別室で果物を切っていたので置いてあっただけと述べているが、申立人らが訪れることは明らかであるにもかかわらず、玄関に続く廊下にしかも訪問者が直ぐに判る位置に食堂用の椅子を持ち出して、その上に果物ナイフ等を置いていたのであって、上記相手方の弁解は不合理、不自然といわざるを得ない。)、遺書と題された書面を予め準備し、自殺を仄めかす言動で、いわば脅迫的言辞をもって申立人代理人に対して自己の要求を突きつけており、この相手方の尋常ならざる言動は相手方の追いつめられた心情の現れといえなくもないが、子供らを面前にしての行為としては到底許容されるものではない。長男及び二男もこの時の相手方の態度の異様さを認識しており、事件本人も「お父さんのいう通りにして」と叫ぶなど、子供らにとってはまさに修羅場というべきものであって、このことが子供らに与えた影響は計り知れないといえる。特に、事件本人は、両親の不和の原因が自分にあることは認識しており、上記の事件本人の言動からすると「相手方のいうとおりにしなければ相手方は死んでしまう」との認識を持ったのであり、したがって、事件本人の性格からして、この認識が今後の事件本人の言動の自己規制として働く可能性は相当高いと推測される。
⑤ 本件の相手方での事件本人に対する調査官の面接的に認められた事件本人の調査官に対するみ付きを始めとする粗暴な行動については、これをどのように解釈すべきか難しいところであるが、これらの行動が前事件での調査時及び申立人との生活の中では全く見られなかったものであることからすると、事件本人の心に何らかの動揺があることは明らかである。つまり、言語表現も含めて知的能力が高いと評価される事件本人が、言語表現によらずに粗暴な行動という直接的表現行為に及んでいることから、申立人の監護下で落ち着きを得ている長男及び二男に比べて、事件本人が両親の紛争に巻込まれ、未だその渦中にあって、複雑な感情を表現できずに内面に葛藤を抱えているのではないかということが推測されるのである。したがって、相手方らによる事件本人の監護、養育状況は表面的には平穏であると認められるが、事件本人の内面は必ずしもそうとはいえないのではないかとも考えられる。
以上の問題点に加え、長男及び二男が事件本人と一緒に暮らしたいという基本的な気持ちに変化のないこと、事件本人が兄達と遊びたいという気持ちは一貫していること、その他前事件で指摘された事件本人と兄達とのきようだい間の結びつきとそれぞれの心情(これは事件本人と異母妹との結びつきを否定するものではない。)、事件本人の就学が目前に迫っていることなどの事情を総合考慮すると、本件の本案の確定を待っていては子(事件本人のみならず長男及び二男も含めて)の福祉が損なわれる事情があると認められ、かつ、これを早急に解消する必要性があると認められる。
よって、本件申立ては理由があるから、これを認容することとし、家事審判法一五条の三、家事審判規則五二条の二を適用して、主文のとおり審判する。